どうも、アブーです。
最近は関西と東京の生活が板についてきて、前はハジけてた何かが少しずつ実体化してきた感じがします。
そして、今後も考えて新しいアカウントでインスタ運用をしていこうと思ってまして「どんな内容で発信していくねん」ということで色々と過去を振り返っていました。
その中でも濃かったはずなのにスッポリ抜け落ちてる感がある声優志望時代。
ちゃんと文章にしておきたくて、勝手に振り返っていきます。
内容的に「日ナレ1年目」以降は声優志望さん向けになります。
それではどうぞ!
始まりは18歳
声優に興味を持ったのは高校三年のときでした。
中学まではガッツリ水泳してて、選手になるとか言うてたのが高校が片道1時間半くらいのとこになってしれっとやめたんですよね。
なので高校はずっと帰宅部。
最初は友達とサッカーしたり、帰りにイオンモール寄ったりもしてたのですが、徐々に疎遠になり、高2〜高3は本格的に帰宅部、ゲームばっかりしてました。
その時のゲームの影響で声優に興味を持ち、母に「声優なりたいねんけど」って言ったら「手に職つけてからのほうがええんちゃうか?」と
一瞬で的確なアドバイスをもらいました、ChatGPTみたいでした。
ちなみに、この時期ハマってたゲームはテイルズオブヴェスペリア、ペルソナ3ポータブル、ペルソナ4です。
8年間コソコソ修行
そこからは大学が和歌山になり、とても養成所に通えるような環境ではなかったので、社会人まで普通に過ごすことにしました。
学費も払わないとで、一人暮らしもさせてもらうしで、勉強をちゃんとして人生を過ごすという方向でした。
ここでバイトで稼ぐ発想がなかったのは、こんな僕でも「学費分はちゃんと勉強せな」「バイトで学生時代潰れたらまずい」という意識があったからかも。
当時の田舎のバイトだと時給800円ですから、養成所代稼ぐのにいくら要るのかという話。
それで入学して始めたのがダンス。
当時は何の取り柄もないただの標準体型ブサメンだったので、過去を決別したい、
できれば、何か声優につながることをしたいと思って始めました。
結果的にはダンスが本業なっているから人生わかりませんね。
それと並行してハマったのがカラオケ。
同じ学科にめっちゃ歌上手い友達(耳かきというあだ名)がいて、授業の空きコマはカラオケが昼間2時間400円だったのあり、サルのように通ってました。
歌も当時はめっちゃ苦手で、盛り上がる場所は好き、でも自分の番が回ってくるのが苦痛すぎる、みたいな人間でした。
耳かきに、どうやったら高い音も出せる?と聞いたら「最初出ぇへんけどそれでもやってたら出てくるで」とのこと、ガチでした。
大学3〜4年目は車で毎日1時間半くらい研究所まで往復していたので、車内でも歌いっぱなし。
その甲斐あって一部の女性アーティストの歌も出るように。
ダンスも1週間でトータル8〜10時間は練習してた気がします。
大学の勉強の方も割と順調で、3年の前期には卒業単位取り切ってあとは卒論に向けて研究するだけ。
テスト内容は暗記系が多かったため、テストの1ヶ月前くらいから毎晩ノートを見て、記憶に定着させていました。
のちに、台本を覚えるテクニックに結びついたかもしれません。
進路が大学院進学になったは予想外でしたが、理系の手堅い職に就くという目標には近づいていたし、研究も楽しめていたしで、結果良しです。
この調子で大学院の2年間は通学時間が病的に長かったのですが、
通学中に論文やビジネス書を読んだり英語の勉強したり、ダンスは夜や実験の待ち時間、カラオケも夜や土日に変わらずしていました。
社会人になってからもあまり変わらず、通勤中に読書や仕事の勉強、夜にダンスやカラオケでしたね。
理系スキル・ダンス・歌をコツコツ育ててました。
でも、これだけ続いたのはダンスもカラオケも楽しかったからです、厳密には僕の場合、上達の瞬間が楽しかった。
こんな感じで、踊る・歌うの動作自体を楽しめないと仮に声優になれてもキツイだろうなぁとも思います。
日ナレ1年目(基礎科)
26歳でやっと養成所に行き始めます。入所したのは日本ナレーション演技研究所。
26歳だとクラス内で上から2番目に年寄りでした。ちなみに最年長は27歳の方。
私の場合は7月入所でクラスの過半数は4月入所、コミュニティはすでに出来上がっていて出遅れもいいところでした。
初めてのレッスンで渡された外郎売(ういろううり)、やる気しかなくて1週間で覚えていく。
信号待ちや風呂でボソボソ、音楽聴く代わりに外郎売のYoutubeを聞いたり、セリフ忘れた時のためにスマホで台本写真撮っておいたり。
多少イタくてもこれくらいしないと声優目指す人たちに埋もれるとも思ってて、
その後も渡される台本はしっかり覚えていく必至ムーブをかましてました。
台詞覚えは風呂が多かったです。
当日渡された以外で台本持ってお芝居したのは数えるほどだったと思います、本当に声優になりたかった。
自分の中でダンスと歌はしっかりやっていたからか、養成所期間中は全部芝居に集中できた感じもします。
出遅れではあったけど、変な自信を持って臨めたのはそのおかげかもしれません。
芝居で取り組んだ内容は外郎売やアメンボの発声、あとは先生が今までにされてきた台本を実際にさせてもらったり。
とにかく「お芝居は受信」と教わって、お芝居だけじゃなくダンスや人間関係においても、最終的には受信を極めたら全部に通じるとも思いました。
あとは「人間力」についてもよく考えさせられる時期でした。
いくらスキルがあっても人間的に魅力がなかったら何かダメなんじゃないかな。。と、
ダンスや研究など、声優業界の外で過ごしていて思っていることでもありました。
今でも人間力が低くなってしまう時はあるんですが、その瞬間に当時の先生のことを思い出します。
日ナレ2年目(本科)
2年目はコロナの時期になりまして、フェイスシールド装備、お芝居中もソーシャルディスタンス、床を触ったらダメと制限だらけの年に。
僕の場合、先生は1年目と同じ先生でした。
できるだけ色んな先生に学びたかったという思う人が多いかと思いますが、個人的には最高でした。
基礎科でその先生から学びきれなかった感があったし、本科だったらどんなことを教えてくれるんやろうと疑問だったし、
まずは基礎というか自分の中のベースを作りたくて、作るならその先生だったから最高でした、本当に大当たりな瞬間だった。
他の声優志望の人には出身の養成所を言えないくらいの悪名高い養成所でしたが、この先生に出会えたことは本当に幸運でした。
ちなみに、あたる講師の確率を冷静に考えると、
基礎科と同じ時間帯・曜日で希望を出せば、地方だと同じ先生になる確率が高いんじゃないかなと思います。
本科では基礎の発声等は同じでしたが、台本の難しさ・濃さが違いました。
一人だけの演技が良くても、誰かがハマらないとダメ、みたいな実戦をちゃんと感じる形。
自分の役の意味や役者としての自身の持ち味を理解して引き出せないと、台本がうまく行かない…、と思うことが基礎科のときより多かったです。
役者としての自分の色をもっと意識するようになって、この人のこの部分と同じ土俵に立つと負けるなと考えたり、
そもそも自分と似た方向の現役の声優さんって誰だろうかと改めて長期目線でも考えたり。
声優になると新人でも古参でも関係なくライバルになる、というのも知りました。
またテクニック面でも、例えば悲しいシーンでそのまま悲しい演技をしてしまうとお客さんに伝わらないからあえて笑顔にすると物悲しさが出てくる、など、
話すスピードや抑揚の付け方でキャラクターを印象付ける、など色々をこの時期に学んだ記憶があります。
それでもあの先生から学びきれたかと言うとそうではなく。
山で例えると5合目行ってたらいいくらい?
声優は声だけのお芝居なので、前提として体全体を使ったお芝居(=舞台芝居)ができないといけない、
つまり舞台芝居から声だけを残すと声優になるという考えを教わって養成所で過ごしていました。
東京でも通用するくらいの体全体のお芝居を身につけるのにとても良い先生だったと感じています。
ちなみにですが、日ナレ大阪校にこの先生はもうおられないです。
書いていてとてもアツかった日々だったな〜と思い返していました。
間違いなく人生で大切な瞬間だった。
日ナレ3年目(研修科)
実は基礎科→本科に上がる時の所内オーディションでは、一次審査に合格して二次までいけたのですが、本科→研修科では一次も突破ならず。
何がダメだったんだろうか、凹んでいました。
比較してみると、本科→研修科の時はフレッシュさが足りなかったような気もします、考えても答えは出ませんが。
シンプルに審査中のお芝居が下手だったかも。いや、たぶん髪の毛長くなったのがダメだったか。
実は養成所外でナレーター・声優さんにも指導を受けていて、「髪切ったほうがいいよ」とアドバイスを受けました。
アニメ業界は昔にスクールカーストで下位にいた人が多いから、イケイケな感じの第一印象を与えないほうがいい、とのご意見だったと思います。
ていうかそもそも審査が年に一回なのってどう?とやっと気付き始める。
まぁそんなこんなで本科の次は研修科です、先生も変わりました。
研修科は本科よりも尖った人が多かった印象です。
お芝居が上手な人もいて「これが芝居心か」と思わされる感じの人や、自分の出していきたいキャラがしっかりしている人が多かったように感じます。
お芝居って人柄が滲み出るというのも本科までで感じていましたが、研修科ではより思わされる人もいました。(ダンスも仕事も何事も人柄出ます)
やっとの思いで来た研修科ですが、まだコロナの時期でマイク前の練習ができません。
テレビでアニメ映像を無音再生して、それに合わせてお芝居をしている様子を動画で撮り、確認するというレッスン方法でした。
想定よりも自分の出している声が大人すぎるな〜とか、人前で声の芝居をするってこういうことなのか〜と発見がいっぱいでした。
でも楽しかったのも束の間で、その方法も台本2本したらなくなり、舞台芝居の方向に戻ってしまいました。
当時は「コロナ禍でもマスクしてマイクも拭けば従来通りできるやろ」と思ってたのですが、
もしかしたら先生の想定よりお芝居ができない人(自分含め)が多くて「一旦舞台のほうに戻るか」となったのかもしれません。
結論からいうと、僕は秋頃からフェードアウトしてしまいました…。
今思えば行っとけばよかったのかも、と少しは思いますが、
- 基礎科〜本科の先生と研修科の先生だと前者が良すぎたこと
- 自分は日ナレの経営陣にはハマらないだろうなと2年半居て感じたこと
- 養成所のレッスンだけでは役者といえないと感じたこと
- お芝居とマイク前どちらにも精通した人から学びたいなと思ったこと
色々と思うことがあって行かなくなりました。
本科が終わるころには役者として順調だったとは思うのですが、業界に向いている年齢でもなかったので、身の振り方についてはちゃんと考えるべきだったなと。
毎日を充実させてたら然るべきところに行けると思ってましたが楽観が過ぎた感。
なりたかったとはいえ、少なからず自分のモチベが続く期間やモチベの方向が変わることも想定したいところでした。
他の人だと、本科が終わった頃には別の養成所に進む人や、研修科からは東京に行くって人がいました。
東京で研修科に通い始めた人だと講師に現役声優がついたり、その声優さんにいろんな相談をできたりと、とても有意義そうだったのを覚えています。
そのあと
その後にしたことはこんな感じです。
- 現役のナレーター/声優さんがされているマンツーマンの講座に申し込み
- 舞台芝居に挑戦 / 劇団に入ってみたり
- ボイスサンプルを撮る
Twitterで繋がった声優さんたちのコミュニティにもお邪魔させていただいて、養成所の外の世界で、貴重な経験をさせていただきました。
どれも貴重でしたが、強いて一番を挙げるなら現役ナレーター・声優さんのマンツーマンの講座がすごかったです。
年間通うと30万近くするので長くは続けられませんでしたが、養成所に通ってたら予備校みたいな形で使えそうだったし、
何よりボイスを都度送るので声優としてガシガシ磨かれていってる感覚がありました。
「髪切ったほうがいいよ」もこの方のアドバイスです。笑
現役の声優さんの感覚に触れられるのが当時はとても貴重でした。
おかげさまで、実際に指導してもらった内容でボイスサンプルを撮ったら、
「声優志望は何人か録ってるけど一番うまかった!」と担当の人に褒めてもらえることもありましたね、とても恐縮でお世辞もあるかと思いますが。
役者としての素地は本科までで学べてたし、舞台芝居も経験したあとでのマンツーだったのが良かったとも思っています。
私の場合は、何も素地がない状態でマンツーレッスンを受けても、効果は薄い気がしています。
そして、研修科フェードアウトの半年後くらいに東京との2拠点生活が見え始め、春過ぎくらいには東西を行ったり来たり、
同時に東京のオーディションを見始めて、たどり着いたのが新ニッポンヒストリーさんでした。
ただし、こんなに紆余曲折しなくても新ニッポンヒストリーさんには応募も出演もできますので、そこは誤解されないように。
培ったものをちゃんと評価してくださる現場なので、ご興味のある方は一度面談や質問などをしてみるとよいかと思います。
まとめ
振り返ってみると声優志望編、本当に人生でアツい瞬間でした。
今となってはダンサーと医療ライターでまずはやっていこうと気持ちが固まっているのですが、
折をみて少しずつ再開というか、もう旬は過ぎた年齢なので自分のペースでぼちぼちしていくのもアリかもしれない、と思いました。
楽しかったな〜。
今回はせっかくの経験なので、声優志望さんや、昔の自分のように声優に興味はあるけど動き出せていない、という人に向けて書こうと思った次第でした。
今自分がノースキルの18歳だったらどう動くか、それに近い内容とかでも書いていこうと思います。
最後まで有難うございました。
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